自分のかんがえ
三男が小学6年生の時。
三男「うちのトイレのトイレットペーパーを三角折りしたよ」
学校で聞いてきたのか、ちょっと誇らしげに言いました。
私「ふーん」と同調。
いいことと思ったら即、マネする私。
それから、我が家の習慣にしようと「大」の時も「小」の時の
トイレに行く度に三角折りの実行。
家族の者に言って習慣づけるより、
父親の行いが自然と家族に浸透するまで続けよう。
( 父親の威厳の見せどころとばかり気負ってました )
しばらく続けて思いました。
ホテルとかでは三角折りしてあるからペーパーが使いやすいし、
次に使う人に対しての思いやりの実践が大事なんだ。
そうだ「思いやりの実践」
「思いやりの実践」
( 「思いやりの実践」という言葉に酔っている私 )
三角折りのねらいは「思いやりの実践」だ。
いつも、モノゴト深く考えず行いをし、考えは後から付ける私。
でも、この「思いやりの実践」を、
是非、我が家に定着させようとさらに続けました。
しかし、家族の者は気づいているのだろうが、誰一人と実行がなされない。
あの言い出しっぺの三男も実行してない。
とうとう家内にむかって言いました。
私「トイレットペーパーの三角折りをしてるが、誰もしない・・・・。」
家内「あれ、近所の奥さんが言ってたけど、用を足したあと、
その手でペーパーを触るのは衛生的でないよねー」
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私「そりゃ、そうだ、むしろ汚いよね」
即、三角折りやめました。
考えて行動しよう。
付和雷同じゃん。
陽転、陽転。
【 付和雷同 】自分の一定の見識がなく、ただ他の説にわけもなく賛成すること。